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日々通信

水俣市水俣病関連遺跡百間樋門

水俣市百間樋門 水俣市民による遺跡を残す会のgroupへの支援活動を2023年7月から開始しています。

百間塘・大廻り塘の350年の歴史 詳細は本HP上の論考の公害ボックスに資料あり

水俣病関連遺跡として百間樋門は重要です。1667年にこの地域では浜を埋め立てた塩田開発が進みます。塩田方式は入り浜式といって、満潮の海水を塩田に引き込み(潮廻り)、塩田の砂に海水が浸み込み日中の太陽熱で毛細管現象が促進され、塩が塩田の上に浮きあがり、それを集め濃縮した後、釜で炊いて製塩するという方式です。そのためには、海水の取り入れ後に海水が海に戻らないように入れ口の門をとじる門があります。これが樋門です。また、潮廻りの土手が塘(とも)です。チッソ工場の周囲には3つの塘が江戸時代の塩田のために造られています。百間塘、四十間塘、大廻り(うまり)塘です。百間樋門は百間塘とつながっていると推察できます。大廻り塘は丸島樋門とつながっていると思います。この塩田が明治で廃止され、その後水田となり、その後チッソ工場敷地に変化します。かつての塩田のための樋門が工場排水、生活産業排水の排水口に変化していったと推察しています。チッソの近代産業化は江戸期からの不知火海の埋め立て、塩田、そして水田による、民の血と汗の基盤づくりの上にその産業が成り立ち、かつ、結果として有毒排水を流す仕組みとして活用されてしまったということになります。350年の歴史を再度検証し、水俣病関連遺跡の価値を再認識したいものです。
大廻りの塘、石牟礼道子の『みなまたのうみのこえ』の舞台
百間の樋門
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